ETN特集 TOPページ
全焼した寂光院の本堂=2000年5月9日3時50分、京都市左京区大原草生町の寂光院で(©京都新聞社)
|
パチパチと火の粉を噴き上げ、火柱のような猛炎が寝静まった大原の里の夜空を赤く染めた。9日未明に出火した寂光院の本堂は、「夢であってくれ」との祈りもむなしく一瞬のうちに炎に包まれた。約800年の風雪に耐えた本尊の重文・地蔵菩薩像は黒く焼け焦げ、長年にわたり住民が守り続けた本堂は、焼け落ちた。寺関係者や地域住民はぼう然と焼け跡を見つめ、山里の古刹(こさつ)拝観を楽しみに訪れた女性観光客は、突然の火事に驚きを隠せなかった。
「誤作動であってくれ」。寂光院の境内で宿直中だった近くの工務店経営佐々木進二さんは、火災を知らせるベルが鳴り響くのを聞いて、こう祈った。しかし、本堂に向かうと、夜空が真っ赤に染まっていた。「もう、あかんのか」。無念さと闘いながら、駆け付けた近所の住民たちと消火栓からホースを引き出し、重要文化財の地蔵菩薩像に水をかけ続けた。
近所の造園業中辻英一さんも宿直中に、寺の女性からの電話で出火を知った。見ると、本堂の西側付近が炎に包まれていた。「夢をみているのでは」と、われを失った。
地元の住民たちは、寂光院がいつも火の気に神経を使っている姿を見てきた。近くで民宿を経営する山本修さんは「境内の外で花火をしていても、宿直員が注意しに飛んでくる。雷が鳴っだけで門を閉めるほどだった」と話す。
地元の住民も防火に協力し、寺に出入りする業者5人がいつも交代で、宿直に当たってきた。宿直の中辻さんも前夜の23時半に見回りに出たが、「異状はなかった」と話す。宿直仲間の佐々木さんは「本堂には20Wの電球1つとマイクのコンセントがあるだけで、火の気はまったくないのに」と悔しがった。
寂光院の本堂西側の土からは、まかれた油臭が確認された。火のないところに煙は立たない…。この火災は放火である疑いが高くなった。京都府警捜査一課は非現住建造物放火の疑いで下鴨署に特別捜査班を設置し、捜査を始めた。
府警は2日間にわたって現場検証を行った。その結果、本堂西側の縁側付近が激しく燃えていることが分かった。縁側の焼けた材木からも灯油の強いにおいがしていたうえ、本堂西側付近の広い範囲の土壌からも灯油の成分が検出されている。府警は油のまかれた範囲や現場に残された灯油の量などから、放火に使われた灯油の量を推定した。その量はなんと18リットル前後の多量の灯油。犯行時にはペットボトルなどの小さな容器に小分けするのではなく、少なくとも18リットル前後の量を運べる大型容器が使われた、と見ている。「犯人が一気に建物を燃やそうとした」。府警は灯油を運んだ容器類の特定を急ぐとともに、不審人物の目撃がなかったか調べを進めている。
寂光院は、洛北・大原では三千院とともに全国的に知られる観光名所で、毎年11月の紅葉シーズンには1日に約5000人が訪れる。このゴールデンウイーク中も、多い日は約2000人の観光客でにぎわった。それだけに、観光への打撃を心配する声も出ている。
寂光院で拝観受付をしている岩松義治さんは「女性に特に人気のある観光地で、平家物語を学校で習った修学旅行の中高生も大勢訪れます」と話す。
本堂を焼失した寂光院は当分の間、拝観を中止する。寺の周辺には、観光客向けのみやげ物店や飲食店、民宿が計十数軒あり、地元の大原草生町内会の山本会長は「庫裏に見舞いに行き、小松住職と会った。落ちついた様子で『町内や近所の人に迷惑をかけて申し訳ありません。よろくしくお伝え下さい』と話されていた。本堂の再建や本尊の修復は1、2年ではすまないだろう。これからが地元にとっても大変だ」と話した。民宿を経営する男性は「ゴールデンウイークは終わったが、これから観光客は訪れてくれる時期。どうなるのか」と不安な表情で語った。
一方、福井県から観光に来たグループの一人で、火災現場に出くわした西野陽子さんは「きょうは大原散策をしようと、ぶらっと来ましたが、びっくりしました。寂光院は雑誌にも紹介されていたので、拝観したかったのですが…」と残念がった。
神戸市から2人できた主婦、小附亜由実さんは「女性の寺の寂光院が、一番の目的でしたのに。なかでも仏像を見ることを楽しみにしていました。きのう1泊していたので、早く見ておけばよかった。とてもいいお寺なので、残念です」と話していた。
焼損した地蔵菩薩立像の中に納められていた「像内納入品」は無事だった。右側の二つの箱には胎内仏が入っている=京都府教育委員会・文化財保護課提供
|
焼損した本尊の木造地蔵菩薩立像は1986年に国の重要文化財に指定された。寺伝では聖徳太子の作とされているが、重文指定と併せて行われた修復事業で像の中から願文が見つかり、鎌倉時代前期の1229(寛喜元)年に、大原来迎院の僧寂如の発願で造られたことが分かった。また像内納入品も新たに発見され、大量の胎内仏に加え、連珠、刀子(小刀)、唐・宋銭、横笛などがあり、一括して重文指定に追加された。さらに、本尊の周辺に安置されていた小さな地蔵たちも「胎内仏と同じ作りで、過去に本尊の中から取り出されたらしいことが分かった」(文化財保護課)ことから、こちらは重文の付録にあたる附(つけたり)として指定されている。
像の高さは2.56mと大型で、体内には願文のほかに、11cmから5cmの地蔵菩薩の小像3417体や法華経など経典5巻が納められていた。像の周囲にも3210体の小さな地蔵菩薩像が安置されていた。かつては約6万もの地蔵に囲まれていたといわれ「六万体地蔵菩薩」の別名がある。
京都府教委文化財保護課は地蔵菩薩立像の修復作業を担当した美術院国宝修理所の技術者や文化庁から派遣された技師らと調査したが、「像の修復方法をはじめ、今後の方針を決めるには焼損状況をさらに詳しく知る必要がある」と語った。
今回の火災では、本尊の周囲を埋めつくすように並んでいた小さな地蔵菩薩像も9割前後が焼けてしまった。一方、本尊の中に納められていた「像内納入品」は、3417体にのぼる小さな地蔵菩薩像、いわゆる「胎内仏」を含めてすべて無事だった。火事のあった9日に国宝修理所へ持ち込まれたが、放水で湿っているものもあり、乾燥作業を慎重に行っている。
「ETN特集」のコンテンツに含まれる情報の著作権は、提供者またはエアサス旅行研究会に属します。
(c)Copyright 2001 EASAS TRAVEL MEDIA NETWORK, All rights reserved.