鞍馬駅に着いたときはすでに真っ暗だった。午後5時くらいだったと思う。これから京都市街に帰る人が何人かいたが、僕のように今から鞍馬寺に参拝する人はいないようだった。
駅を出てほんの少し歩くと、すぐに鞍馬寺の入口がある。暗かったので細かいことはわからなかったけど、大まかなところは今でも思い浮かべることができる。
まず、思い出されるのは、目の前にある階段である。そして少し登ったところにある鞍馬寺の入口には威厳が感じられる山門があり、俗的なものを寄せ付けぬ雰囲気が漂う。清盛が義経をこの寺に入れたのも納得できるような気がする。確かにここに入れてしまえば、そして出家させてしまえば、鞍馬の森が外の世界とのかかわりを困難なものにしてしまうだろう。
次に階段をのぼりはじめてすぐ右手にロープウェイかケーブルカーの駅があるように見えた。ただ、もう遅いのでその駅はすでに閉まっていた。
階段を登っていくと、途中からそれまでまっすぐだった参道がくねくね曲がりだした。ほぼ同時に、階段ではなく普通の上り坂になる。
僕が1人で寂しく登っていると――鞍馬駅以来1人も見ていなかった――、上から鞍馬寺参拝を終えたらしい若いカップルがいちゃいちゃしながら降りてきた。もちろん僕はそれを無視し、本堂を目指して歩きつづける。
言い忘れていたけれど、階段を登りはじめてから後はずっとほぼ真っ暗である。ときどき、か細い電灯があるにはあるけれど、夜歩くにはとてもじゃないが照度が足りない。足下に気をつけなくては。
明かりのついた灯篭のようなものが左右に出てきた。そしてまた階段になる。しかし今度の階段は先の階段ほど急ではない。
あたりも鬱蒼(うっそう)としてきて、いよいよ本堂が近くなってきたことをうかがわせる。
本堂に着いた。誰もいない夜の本堂はここだけ平安末期のままであるかのように完璧な静けさを演出している。
雪が降り始めてきた。雪はわずかな月の光を受けて「妖しく」落ちてくる。言葉にできない美しさがあった。
一般に、山道を登ったら帰りは下らなくてはならない。そして夜の下りはとても危険である。そして雪が降っていたりすると、その危険度は倍増する。さらに、急いでいると、これはもう99%の確率ですっころぶ。僕もその例に漏れずに2度ほど足を滑らせた。1度は派手にすっころんだ。悔しい出来事だから、これ以上は書かない。
山賊にも追い剥ぎにもそして天狗さんにも捕まらず、無事に鞍馬駅に戻ってきた。時刻は午後6時。もちろん、電車を待つ人は僕の他、誰もいない。
トイレをすまし、我が家に電話をし、自販機で温かい飲み物を飲んでようやく一段落した。駅舎の中にあるベンチに座って俗世間に戻る電車を待つ。電車はたとえ真っ暗になっても、たとえ駅で待つのが1人だとしても来てくれる。
やって来た列車は赤い色をした新型2両編成。鞍馬発は午後6時10分頃。
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