街が消える、とはどういうことだろうか。私はかなり一生懸命悩んだけど具体的なイメージは思い浮かばなかった。だから、実際消えてしまいそうな街に行ってみることにした。
川原湯温泉は群馬県の北西部に位置する古くからの温泉街である。川原湯温泉駅でもらったパンフレットによれば、源頼朝が発見した「湯」があるということだから、由緒ある温泉街といえるだろう。
この川原湯温泉は近い将来、ダムの底に沈むことになっている。ダムの名前は「八ツ場(やんば)ダム」という。
私は午後4時に川原湯温泉駅に降り立った。帰りの列車まで時間はたった2時間。見所をまわりきれるかいささか不安だったが、心配しても仕方ないので早速温泉街の方へ歩きはじめた。
温泉街は駅からすぐだった。
駅からくねくねとした坂を登っていくと、左右に温泉宿が見られる。すぐ近くにある草津温泉のような派手さはない。昔ながらの落ち着いた感じの温泉街である。
浴衣姿の年配の夫婦がタオルを片手にのんびりと歩いていた。ここでは時間は静かに、そしてゆっくりと流れているように感じられる。
温泉街を抜けると、普通の山道。私はいつものように脇道にそれることにした。そしてその脇道を進むと、さらなる脇道の入り口が。しかし、その脇道の入り口には黒と黄色の「立ち入り禁止の障害物」があった。そこには白い金属のプレートがかかっていて立ち入り禁止の理由が記されていた。要約すると、つまり道路をつくるからということである。おいおい、ダムをつくるところになんで道路なんてつくるんだ? 私は不思議に思った。それとも、この場所はダムに沈まない地域なのだろうか。
恐くなったので引き返すことにした。だって「発砲注意」なんて書いてあるんだもの。それに時間も少し気になった。
「不動の滝」という名所があるようなので行ってみることにした。途中、ダム工事についての看板を見つけた。それによると、八ツ場ダムは昭和60年代に建設が決まったそうだ。すると、10年以上も計画はほったらかしということになる。
子供たちが道端で遊んでいた。私は彼らに「こんにちは」と挨拶した。彼らも「こんにちは」と返してくれた。私はとても嬉しかった。
彼らは自分たちの故郷が水の底に沈むことを知っているのだろうか?
「不動の滝」に着いた。しかし、滝を見ることはできなかった。「立ち入り禁止」と書いてあったからである。裏側にまわってみた。けれども滝は見えなかった。滝の前に巨大な橋を建設している最中だったからだ。おいおい、ここはダムに沈む場所じゃないのか?
私は滝見物をあきらめ、時間が切迫していたので駅に戻ることにした。
国道に出た。右側に川原湯岩脈があった。これは国の天然記念物だそうである。これもダム工事によって消えるのか?
吾妻川の上には少し季節はずれのこいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。
私は川原湯温泉駅のホームに立っていた。そろそろあたりは暗闇に包まれようとしていた。私はこの2時間のことを思いだしてみた。温泉街。立ち入り禁止障害物。看板。地元の子供たち。不動の滝と工事中の橋。岩脈。そしてこいのぼり。
ここはダムに沈む街である。
ヘッドランプを点らせながら列車がやってきた。私は無性にビールが飲みたくなった。
※付記:実際私はこの後電車の中で缶ビールを飲んだ。
※筆者注:この文章は2,3年前に書かれたものです。現在とは状況が異なっていることがあります。
(2002年7月追記)
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