夏がくるたび、あの駅が脳裏に浮かぶ。
JR東日本が東北6県の新幹線・特急・急行すべて乗り降り自由で、10日間1万4000円という破格の切符があり、まだ夢も希望もあった僕は友人を強引に誘い込んで、11日間の無計画旅行に出発した。
そんな旅の5日目、8月25日だっただろうか、十和田から高速バスで盛岡駅に出てきた我々は、何も考えず行き先表示にあった急行「陸中」に飛び乗った。その日は宮沢賢治生誕100年のまさにその日で、花巻あたりはごった返していたが、無視して進む。急行は柳田国男の「遠野物語」で知られる遠野に到着、せっかくだからと自転車で迷子になりながら散策した。
私のザックには寝袋が入っていた。当然、野宿するつもりであった。既に、その旅行では1回、駅で寝ていたので、今日は2回目と思った。遠野駅前のニチイ(いまのマイカル・サティ)で食事を調達し、やってきた急行で釜石方面へ向かった。
その列車は宮古行で、釜石から宮古までは各駅停車になった。フリーパスを持つ私たちには何の問題はないが、各駅になると無人駅に続々停車、ホームや待合室を停車駅ごとに偵察し、本日の寝所を見極めた。
井上ひさしの小説「吉里吉里人」で知られる吉里吉里(きりきり)駅を過ぎた。私たちは事前に「STB(ステビー)のすすめ」なる本を持っていた。STBとは ステーション・ビバーグのことで、駅寝と訳すのが適当だろう。その本は、駅で野宿する人たちのバイブルであり、全国全線全駅のSTB関連情報が満載である。まあ、この本はBE−PALという雑誌で知ったのだが、なかなか使えるのである。(代表者が高校教師というのもすごいと思う。生活指導担当だという)
吉里吉里を過ぎたら、あとはSTBのすすめにノーマークの駅しかない。どうしようか。焦った。意を決し、次の駅で降りようときめた。
その駅が、浪板海岸駅である。
●降り立っては見たけれど、先客が…
2両編成の気動車が行ってしまった。ホームには屋根はあるがドアのない待合室、長いベンチがある。これは寝るのにもってこいだなあ。一緒に降りた乗客はとっとと家路へ向かっていったが、10分後、ザックを持った男性が戻ってきた。
さっきの列車から降りた人。しかも、列車は釜石方面の1本だけ。その乗客か。
いや、違う。あれは列車を待っているんじゃないな。ここに泊まる気だ!
2回目のSTBで、知らない人と同じ屋根の下で? STBで一緒の駅になることは、ごく稀なのだという。がっしりとした体つきの男は、おそらく大学生か。仕方がないから、友人を派遣して、詮索するよう指令した。
「ここで泊まるんですか?」
「そのつもりだけど。君たちも?」
「はい。」
「君たちは大学生?」
「いや、高2です。」
「あれー、俺と一緒じゃん」
「!!」
こんなやりとりで、初顔合わせ。はじめてのSTBという彼は、東京都立高の、同い年だった。体がでかいのは、サッカーで鍛え上げたから、らしい。これは、いい用心棒ができた!
怪しい顔をした車掌が乗った最終列車を見送って、さきほど買ったディナーを催すことにした。私たちはパンを用意していたが、彼は赤ワインとカマンベールチーズを持ってきていた。高2がワインを飲んじゃいかんが、済んだことである。ワインのコルク抜きは安物で、柄がとれてしまい、栓が空かない。たまたまツールナイフがあったので、それで代用した。チーズは申し訳ないが、まずかった。(彼自身もまずいまずいと言っていた)。
もし、彼が私たちと会わなければ、1人でワインを空けるつもりだったらしい。しかし、コルク栓抜きが壊れたとき、1人でいたらどんなにわびしかっただろう。
夜も更けてきた。せっかくだから、浪板海岸に行ってみよう、ということになった。彼は、海に近い駅を探していたのだという。駅から1歩離れると、まっくるやみだ。簡易郵便局の〒マークと、自販機の明かりだけが頼りである。行った先に三陸国道があって、トラックがぶんぶん走っていて怖かった。ほどなく、海岸が…。夜の海岸は、何だか不気味な光景であった。
駅に戻り、彼は日記を書くといって、早々と寝袋に入った。ちなみに、ベンチには2人しか寝られないため、じゃんけんを敢行、私と彼がベンチ、友だち君は下のコンクリ上に寝てもらった。
●FROM、旅行バカから
翌朝。
STBの掟に、「始発列車までに撤収する」というのがあるため、起床はまだ暗い4時半ごろだった。まあ、ゆっくり眠れる場ではないのだが。
片付けているうちに夜が明け、パッキングが終わったころには日が昇っていた。
前日にかっておいた朝食を、海岸で食べようということになった。また海岸に行った。夜の海岸とうって変わって、東側に位置する海岸だけに日の出がまぶしく、感動的だった。
しばらく波で遊んでいたら、カラスが我々の朝食を襲撃していた。
「コラ―!てめー!!!!!」
危うく、カラスに持ってかれるところだった。カラスが歩いて逃げていったのが、じつにバカにされた気分で頭に来た。中身は無事だった。
いよいよ、出発である。方向が同じだったので、宮古行きの列車に乗り込んだ。
そのとき、何を話しただろう。
私たちは途中の磯鶏駅(東北ユースきっぷのポスターで使われた駅)で降りたので、そこでお別れとなった。お互い「いい旅を!」と声をかえあって。
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…数ヵ月後。
友だちが、あわてて電話をかけてきた。
なんと、あのときの彼から、手紙がきたのである。そう、お互いに住所を交換しておいて、帰ってから彼に手紙を書いたのだ。
その中に、こんな一言があった。
「キミたちは、旅行バカです、大バカです」
嬉しいひとことじゃないか!!
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