たとえば、東京近辺に住んでいる人が関西旅行の帰りに「ムーンライトながら」を利用すると考えてみる。季節は冬がいい。彼または彼女(以下、彼と省略)は一人である。「ながら」に乗るために、京都方面からの電車を乗り継いで、夜遅くに大垣駅に着くだろう。時刻は夜10時を過ぎている。
そのままホームで待っているのもなんだから、駅の橋上部にあがってみることにする。ホームは吹きさらしでとても寒い。
彼はとても疲れている。早く自分の家に帰りたい。そんな時、行き先が表示されている電光掲示板が視界に入ってきて、
「 東 京 」
という文字が見える。
大垣駅は微妙なバランスの上に立っている駅である。そこは当然ながら、まず第一に名古屋的である。また、ある意味では関西的でもある(ここは中京圏の西の玄関口である)。近鉄駅(運賃表で難波とか京都を探すとそれはそれで楽しめる)も隣にあるし、樽見鉄道のホームも端っこにある。美濃赤坂行きなんてのもある。ミスター・ドーナツもある(ただし、夜はわりと早く閉まってしまう)。エトセトラ、エトセトラ。
ところで、いろいろなものが混じりあった駅だけど、夜遅くになると、そこは東京的一色になる(前述の「ながら」のためだ)。それは名古屋に対する背信行為のようにも思われる。大垣駅は身の振り方がとても難しいだろう、と僕は想像する。
(2002年7月追記)
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