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坂町駅
坂町駅の駅舎(2001年2月/ETN)
東日本旅客鉄道(JR東日本) 羽越本線・米坂線
坂   町 さかまち

開 駅
OPEN
大正3(1914)年11月1日
所在地
ADDRESS
新潟県岩船郡荒川町坂町
接 続
CHANGE
JR>快速「べにばな」(米坂〜新潟)
 「素朴な駅」を未来に残す (2000年6月 #11)
 この坂町駅は、JR羽越本線とJR米坂線の接続駅である。羽越本線のミニ新幹線計画が検討されているけど、もし出来たら立派な駅舎になるんだろうな…と思う。イコール、この素朴な感じの駅舎は、消えるのだろう。

 私はいまだかつて、この駅には1度しか行ったことがない(通過なら数度あるけど)。そのときだって、そもそも降りる予定はなかったのだが。

坂町駅滞在は「14分間」

 1996年8月、まだ夢も希望もあったあの夏の日、初めて手中にした「東北ユースきっぷ」で、時刻表とともに東北を11日間めぐるハチャメチャな企画を敢行していた。

まずはJR新宿駅からの快速「ムーンライトえちご」に乗って、羽越線の村上へ直行した。もとが適当な旅路だったので、気分次第で行程を決めて行く。はじめは新潟で下車するつもりが、「まだ眠いから」ということで終点・村上まで行ったのである。

 しかし、村上から先へは、乗り継いで秋田に行くか、途中の酒田で降りるぐらいしかなかった。そんな「観光」よりも、時刻表のまだ見ぬ線を辿ることに燃えていた私たちは、坂町から分岐する米坂線に乗ることにした。

 村上駅は、坂町駅より北、つまり行き過ぎている。だから、新潟方面へ戻らなければならない。時刻を調べると、いま乗ってきた村上行き「ムーンライト」が、そのまま新潟へ戻るようである。それに乗ろうと思ったが、同行する相棒が、

相棒「悪いなあ、ちょっと、トイレ…」

 と顔色が悪い。朝のオツウジがないとまずいらしい。車内トイレでさせるのも酷なので、駅のトイレを使うことにした。折り返しの列車はすぐに行ってしまい、後続の特急「いなほ」を使うことにした。

 断っておくが、この「東北ユースきっぷ」はJR東日本史上最高の割引きっぷだと思う。過去3回発売されたが、どういうわけか今は消えてしまった。それも無理はない。JR東日本の東北5県の特急(新幹線含む)、急行、普通列車の普通車自由席が乗り放題なのである。他のきっぷと違うのが、学生限定であること、最大の点は10日間有効で1人1万4000円という格安であることだ。有効期間全て使い尽くせば1日1400円であり、これは1区間特急に乗ればモトが取れる素晴らしいきっぷだった。当然、ハチャメチャな私たちは10日間を使い切ることにしていた。

 “無敵きっぷ”を手にし、特急など恐れを知らず、どうぞとばかりに普通列車を見送ったというわけだ。

 さすがにオツウジといっても10分程度であって、あとは時間が余ったから、駅前のローソンに行って雪印コーヒー(80円)とおにぎり2個(200円)を買い、待合室で食べた。村上駅の先にジャスコが見えたが、東北のジャスコは消えていくものが多く、いまでも営業しているのだろうか。

 食べながら今後の予定を決めた。山形方面へ向かうのだから、山寺へ行こう、と決めた。

   6時12分に「えちご」で村上入りした私たちは、1時間後の7時17分発の特急「いなほ2号」に乗った。村上から坂町へはわずか1駅、9分の乗車である。もしこれでまともに料金を払っていたら…そんなバカらしいことはない。

 坂町駅に到着した。接続する坂町線列車がホームに見えた。弧線橋を渡り、列車に乗ろうと思ったとき、

あ〜!!」――と、相棒が声を挙げた。何事かと思って問い詰めた。

相棒「帽子、忘れた!」

 さっき、村上駅のトイレに入ったとき、ドアのフックにかけたまま忘れたのだという。

 これは困ったことになった。しかし、このまま進んでしまってはまずい…。無敵きっぷだけに、取りに戻るのはカンタンである。しかし、そうなると計画が…。

 計画? そんなもん、もとからないではないか! これこそ、自由気ままな、無計画旅行らしいじゃないか!

 そういうことで、即刻、村上駅に戻ることになった。

入れない改札口の「怪」

 坂町7時40分発の列車で戻ろう。すでにその列車はホームにいた。E123系と呼ばれる、当時は(いまでも)最新の車両である。どうでもいいことだが、新潟・庄内地区で主に走っているのだが、ロングシートという恐るべき車両で、投入当初は批判が相次いだ。(今はむしろ、ボックスシートがある方が珍しいのかもしれない)

 ドア横に付いているボタンを押すと、ドアが「ピンポーン」という独特の電子音が鳴って開く。

 7時52分、村上。わずか30分たらずで2度目の訪問である。私はホームに残り、相棒は急いで外に飛び出した。

 ところが、何分待っても戻ってこない。なかったのか? 不安になる。さきのE123系はそのまま折り返すので、乗ったままであった。ホームに降りたり乗ったりして、うろうろする。なかなか来ないので、キヨスクで日経を買ったりした(←キヨスクはホームと待合室双方に窓がある)。すると、待合室に相棒がいるではないか。

 手には帽子。

オレ「何してんだよ! 早く来いよ!(わざとじらしてるんじゃないか?)」
相棒「違うんだよ、入れないんだよ」
オレ「入れないって…。きっぷあるんだから、入ってきちゃいなよ」

 改札は有人であるが、いまは駅員がいない。鎖がしてあるが、別に入っても、きっぷがあるわけで、問題はないだろう。

 相棒は、改札を通ろうとした。駅員に声をかけた。そのとき、駅員が出てきた。

駅員「きみ! 入っちゃだめだろ!」
相棒「ええ? でも、きっぷありますよ!」と、無敵きっぷを見せた。
駅員「困るなあ…」。
オレ「え?」ホームの中にいた私も、耳を疑った。
相棒「どうしてですか?」
駅員「あのねえ、ここは東京と違って常時改札ではないんだ。列車が来たら改札をするんだよ」

 いまでは当たり前と思っているが、改札口がいつでも通れるのは都市圏や大きな駅だけで、多くの駅は列車が来るまで改札をすることはない。要するに、列車が来るごとに、その列車の利用客だけが改札を通るのである。仮に有人駅であっても、例えば北海道の旭川駅なんかは、いまだに常時改札ではない駅である。 こういう駅で下車するとき、怪しいきっぷを持っているとすぐバレてしまうのであるが。

 まったく、都会の常識は日本の常識ではないことを知らされた瞬間だった。ある意味衝撃を受けた。

 相棒はそれでも強行突入して、ホームへ入ってきた。帽子は無事見つかり、いいことであった。

坂町駅の周辺散策…を書くと

 8時26分、村上を出た列車は38分に坂町へ着いた。今度こそ坂町線に乗れる。

 ところが、接続列車は9時36分。あと1時間近くあるではないか。うまくいかないと、すべてが狂う。この調子だと、山寺は午後になるだろう。

 せっかくなので、坂町駅周辺を散策してみることにした。

 しかし、歩いて1分で分かった。この街は、なにもない。ほんと。ウソじゃない。

 ようやく見つけたのが坂町郵便局だったというのも、哀しい。

 はがきに風景印を押してもらう。風景印とは、カンタンに言うと絵入り消印で、はがきの額面部分(切手にあたるところ)に押してもらう。郵便局ごとに違う図柄が用意されていて、絵と局名、日付が入る。ここに来たという証明ともなる。郵便を出すとき「風景印でお願いします」というと、それを押して配達してくれる。案外知られてないサービス。ちなみに、いい局員さんだと、自分で風景印を押させてくれる。驚くべきことに、 この郵便局のロビーに「全国風景印一覧」なる本が置いてあり、日本全国1万種以上といわれる風景印が網羅されていた。値段は4800円だという。恐ろしい本である(誰が買うかい!)。

 坂町駅周辺は郵便局とJAのガソリンスタンド、ローソンしかない。ローソンで暇つぶしするも、そうできるものではない。駅に戻って、待合室にいることにした。荷物も重いし。

 すると、そこの待合室は畳敷き。靴をぬいでくつろげる。壁には駅の古い写真、SLなんかも写っている。また、全国のJRの路線図が……おお、よく見ると、これは国鉄最後の日に発売された「謝恩フリーきっぷ」ではないか。(国鉄最終日の1987年3月31日の1日限り、国鉄全線全列車が1万円で乗り放題という空前規模のきっぷ。10万枚限定で前売りだったが、発売の瞬間完売し、批判が相次いだ。このきっぷのおかげで最終日は終日ダイヤが乱れたのは皮肉か?)

 こうして、私たちは、9時36分発、快速「べにばな2号」に乗って、米坂線へ旅立った。米坂線は、とっても景色がいい路線であり、私のベスト10に入るが、それは別の機会にしよう。

(2002年2月追記)


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