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鳥栖駅
鳥栖駅の駅舎(2002年8月/ETN)
九州旅客鉄道(JR九州) 鹿児島本線・長崎本線
鳥   栖 とす

開 駅
OPEN
明治22(1901)年12月11日
所在地
ADDRESS
佐賀県鳥栖市京町
接 続
CHANGE
なし
 めぐり遭いの旅 (2002年11月 #53)
九州の西海岸を、大型台風が北上していた。

それを知ってて北九州から長崎に向かおうとした僕を、台風は容赦しない。

強い風と雨で、行く道を遮る。

スタートに立った小倉駅から、前へ進めなくなった。

ただ、断続的に電車は台風の目の中に向かって走り出していた。いずれは、僕も一緒に、そこへ向か っていかなければならなかった。それが今なのか、遅らせるのか、の違いだけだ。

小倉の街を離れて、いざ博多へ。そして、さらに遠い長崎へ。

何をそのとき考えたのか、今となっては思い出せない。けれども、不思議な思いが沸き起こったことだけは確かだ。

前へ進むのみ、あとは天地に身をまかせよう。そう思うと、すっと足が前へ出た。

ホームに滑り込んできた、遅れに遅れた特急電車。

けたたましく鳴り響く発車ベル。乗るよう促す案内放送。いや、それは何も影響しなかった。前へ進もうと決めたのは、僕自身なんだ。

僕は、半ば危険な期待を胸に抱いて、嵐の中行きの電車のドアが閉まるのを、車内からじっと見つめた。



折尾駅で止まった電車から降りて、とにかくやって来て、走り出す電車を乗りつないで、博多に着いた。

その頃、まさしく台風は通過中で、誰も何も身動きがとれない。

駅の中は、すでに発車したはずの電車が映しだされている案内板を見上げる人たちが、あちらこちらに立ち止まっていた。

嵐の中は、じっと耐える。動かない。

必ず、過ぎ去るのである。

みんな、知っているのだ。

知らなかったのは、僕だけ?

前に気持ちが焦りだす。だめだ、ここにいてもだめだ。駅から抜け出し、街に飛び出た。

目に付いたのは、サンドイッチ・コーヒーのお店。

ここで、じっと動かないでいようか。

「台風、九州北部に接近」。夕刊をながめながら、コーヒーブレイクで時が過ぎるのを待った。

これって、いけませんか?




運転が再開したらしい。

再び駅に戻ると、人があわただしく動いていた。立ち止まっている人はいなかった。

動かなければ、ならなくなったのだ。

ここで、動くか? 周りがみんな、動き出したから? 止まってた分を取り戻す?

それはできない。取り戻せない。みんなが、動いたからといっても、たとえ。

「動かない」時があったから、今という時があるんだ。それは決して、取り戻すようなものではない。

いや、結構、楽しかったよ。

博多から、鹿児島本線を南下する。ぬくぬくと、湿っぽい車内。座りやすい椅子は、眠りを誘う。

あえていうなら、この時こそ、取り戻したいものじゃないか。

気が付いたら、ここにいた。




鳥栖駅。

長崎に行くには、ここで長崎本線に乗り換えなければならない。

電車の本数が、少なくなるために、ここからの時刻は元通りになるようだ。

「時刻表」が役に立たない旅路は、ここまで。

けど、すでに道は1本。その出番もそれほどない。

数字の羅列とは、今回の旅は無縁で行こう。分厚い紙束と成りすました、これはカバンの奥下に突っ込ん だ。

さて、おなかがすいた。

動いては止まり、そして動く。これは、おなかが減る。

よく考えたら、博多のコーヒーブレイクが、朝に北九州を出て以来の食事じゃないか。

ホームに、次なる電車を迎え待ちながら、きょうの日を振り返った。

ああ、よく考えたら、移動だけで終わってしまった。

すでに陽は落ちかけている。

選択肢は、1つしかないようだった。ホームにあった、立ち食いそば。




それがどうして、この旅一番のごちそうになったというのだろうか。不思議なめぐり合わせである。

鳥栖が、単なる通過駅になることなく、私の心の地図に刻み込まれた意味を、もう一度思い返してみた。

流れに身を任せながら、自分で泳いでたどり着いたから。そう信じる。

要するに、もう一度食べてみたいのだ。鳥栖駅の、かしわうどんを。

それだけ、なんだ。


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