「なんで、横川駅が百名駅に入ってないんですか」
「あの駅こそ、百名駅にふさわしいと思う」
ニッポン百名駅を選定してはや1年、投票はしないが苦言を呈す読者から、横川駅のランクインの強い要望が舞い込んで来る。横川は、あの「ヨコカル」の、「峠の釜飯」の、ヨコカワである。
一応断っておくが、広島県の広島駅の隣の「横川」はヨコガワである。
横川駅は、実にスバラシイ駅だと思う。鉄道ファンのみならず、ふつうの旅行者、信越本線の利用者からも愛された駅である。1997年9月30日に全テレビ局が全国に中継し、翌日の新聞の社会面を独占した横川駅だ。この駅を百名駅に選ばずして、何を百名駅と言えるか! いや、言えない。
そんなことは、百も承知である。
横川駅は百名駅でも“名誉百名駅”と言いたいぐらいの駅だ。関東運輸局がやっている「関東の駅百選」にも第1回選考でいきなりノミネートされているし、旅行雑誌や鉄道趣味誌の駅特集でも必ずや顔を出す駅である。
そんな横川駅をあえて「ニッポン百名駅」に入れなかったのは、この企画の趣旨が、
『全国津々浦々約9900駅から、主観的にイイナァと思う駅を選んで投票する!』
ということであるからだ。いくら周囲がイイナァと思っても、投票者がイイナァと思わなければ、いかんわけなのだ。すなわち、これまでイイナァと思って投票した奴が皆無だったわけである。周りがイイと言えば絶対にイイとは限らないわけである。もし言いなりになったら「百名駅」類似の企画で選定される駅が全て似通ってしまうではないか。個性的な「百名駅」にするためにも、周囲の意見に流されず、じっくり審査するのがポリシーなのである。
●碓氷峠は今や昔…。
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ホームには「峠の釜飯」の立ち売りが。キヨスクもあった=1996年8月 |
そこで、今回のニッポン百名駅は、信越本線の横川駅です。
「おいおいおい、今、偉そうなこと言ったばかりじゃないか!」
まあ、いいのである。あんまり堅いこと言うと、友達できないぞぉ。
気を取り直して。
横川駅は何かと知られた駅である。「ヨコカル」で通っている、今は昔の横川―軽井沢間の伝説は、改めて説明するまでもないだろう。でも、知らないかもしれないので説明する。
JR信越本線は、高崎(群馬県)から長野を経て直江津(長野県上越市)、新潟へ至る幹線であった。途中の「ヨコカル」は碓氷(うすい)峠という峠があり、勾配がきつく、専用機関車で後ろから押さないと登れなかった。機関車はEF63型電気機関車(ロクサン)、峠のシェルパと慕われた。横川駅と軽井沢駅では機関車の連結と切り離しを行うため、必ず4分は停車した。その間に両駅のホームに乗客が駆け出し、名物駅弁「峠の釜飯」を奪い合う光景が見られた。
その駅弁売りの皆さんは、列車が出発するたびに、丁寧に列車に向かっておじぎをするのである。ヨコカル廃止前日にテレビで見た人も多いかもしれないが、あれは最終日だからやってたわけじゃない。
しかし、「ヨコカル」の非効率な運転形態をやめ、新線を建設しようという動きが広がり始めた。1970年代に整備新幹線立法ができると、それを根拠に新線を新幹線規格で建設する方針になった。拍車をかけたのが長野五輪開催決定で、高崎―長野間にフル規格(ふつうの新幹線のこと)で整備されることになり、ヨコカルもトンネルで貫かれた。ヨコカルの路線を存続するか否かで長野・群馬両県で大論争となったが、費用対効果(この言葉、あんまり好きじゃないなあ)から断念、鉄路廃止・バス転換に決まった。
そして訪れた1997年9月30日、あえて語る必要はないだろう。全国から名残惜しむファンが殺到、エアサス本社も敏腕記者を派遣し、最後の日を見届けた、というわけだ。
もっと話すとアプト式まで説明しないといけなくなるので、このくらいにしておく。
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再び列車が走る日は来るのか…=1998年3月/ETN |
いま、横川駅は信越本線の東区間(高崎―横川)の終点となっている。軽井沢方面の線路は、重石で分断されている。駅構内にあった「横川運転区」の跡地に、いまは「鉄道文化むら」がオープンして、さまざまな鉄道車両が保存展示されている。
また、横川―軽井沢間にはJRバスが連絡していて、一部の便は旧信越本線跡が見える道路を通るという憎い演出までしてくれる。
横川駅の名物駅弁「峠の釜飯」は健在。そのほとんどが軽井沢駅や上信越自動車道のサービスエリアでの販売になったが、横川駅に売店は残っていて、賞味することができる。嬉しい限りだ。
ただ残念なことに「幹線の一点」としての横川駅から、「盲腸線の一端」としての横川駅の落差、つまり華やかさや勢いというものが減退しているということだ。駅前にテーマパークが出来たとはいえ、用もない人が来ることはなくなったわけであり、鉄道廃止の影響を実感させる空間となっている。今後、この駅や路線がどういう扱いをうけて進むかは分からないが、「文化財保護」的な観点だけでは、地方路線と化した鉄道を守ってやれない状況になりつつあるこれから、たいへん厳しい道程を進まざるを得なくなるだろう。
うーん、なんだか格好いいぞ。
「K島R三じゃないんだから、評論家みたいなことを言わないでいいの!」
●5年くらい前のはなし
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EF63型機関車がたくさんいた横川運転所も今や過去のもの=1995年12月/ETN |
1995年12月、まだ横川がヨコカルの横川であったころ、駅を降り立ったことがある。この駅、通過人数は凄い多いが、乗降者数はかなり低い。駅から数分歩くと、碓氷関所跡がある。横にあるプレハブ小屋が資料室になっていて、松井田町教育委員会の人を呼び出して開けてもらおうとしたら、なぜか関東電気保安協会が来たという恐るべき資料室なのであるが、通行手形や古文書などの貴重な史料が展示してあって面白い。
さらに先に行くと、踏切の手前に横川郵便局がある。狭い。確か自動現金支払機しかなかった。カードで入金する人は窓口じゃないと駄目です(旅先で入金するヤツもいないと思うが)。
踏切を渡って左を見ると、古い小屋が建っていて、キンチョーの看板が貼ってある。
さらに進むと国道があって、国道沿いにガラス館と「おぎのや」のドライブインがある(おぎのやは、釜飯の製造元)。ガラス館といっても、窓ガラスとか水槽を売っているんじゃなくて、ビードロやグラスが売ってます。
…っと。長くなったので、これくらいにしよう。書いてて思ったが、横川駅は、ヨコカルと釜飯を取ったら、何かパッとしないですね。良いところを見いだせないのは、まだまだ旅人としての見方が甘いのでしょうか。
再び訪れる機会があったら、追加報告を。
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