善光寺といえば、長野にある善光寺を思い浮かべる人が多いだろう。長野市民の皆さんはもちろん、少しでの日本史を紐解いた人なら「善光寺? ああ、長野にあるよね」と考えるのではないだろうか。
しかし、善光寺は長野の専売特許というわけではない。山梨県の甲府にも「善光寺」は存在する。戦国時代の武将、武田信玄が戦で善光寺(長野の!)が焼失してしまうことを恐れて、自分のお膝元の甲府にそっくりさんを作ったということらしいが、確かに似ている。本堂の大きさは少し小さめではあるが。
さて、全国的な知名度や参拝客の数などを総合的に見ると、やはり長野の本家のほうに一日の長があるとの印象を受けるが、個人的に甲府の善光寺のほうが勝っていると考える点がある。それは「善光寺」という駅があることだ。時刻表をめくると、身延線の項に善光寺という駅があることが確認できる。長野善光寺の近くにも「善光寺下」という駅があるが、やはり正面切って「善光寺」のほうが分かりやすいし、風格があると考えるのは僕だけか? とにかく、そういうわけでここでは「善光寺」駅を紹介するわけです。
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善光寺駅を出発する列車の向こうには、富士山が顔を出す=2003年2月、筆者提供 |
前置きが長くなったが、善光寺駅の一押しは、ホームから見える富士山である。甲府からの列車を降りて列車を見送っていると、その後ろに富士山の、雪をかぶった頭の部分が見える。かなりカッコイイ。
善光寺駅は富士山を擁し、「山はあっても山梨県」というキャッチフレーズで知られる山梨県の県都・甲府市内にある。甲府から電車で2駅、わずか5分の距離である。しかし、辺りはすっかり高い建物は姿を消し、山梨県が誇る名産・ブドウの畑が広がっている。
地方都市のちょっとはずれた駅に降りると毎度のこと思うのだが、都市の「玄関口」と呼ばれる駅前というのはウソの姿で、ハリボテで、その後ろに隠れている町の姿がホントなんだなあ…って。甲府駅の前にはアメリカ資本の牛肉パン屋やコンビニがあったりして、それだけ見ると「俺はどこにいるんだ? 吉祥寺か?」と錯覚してしまうくらい垢抜けているのだが、わずか5分電車に乗っただけで、富士山が見えて、ブドウ畑が広がっている。どうしてこういう姿を隠そうとするんだろうと、僕は思うのである。ホントの姿のほうが、ずうっと、魅力的だと思うんだけど。
閑話休題。善光寺駅で僕を降ろした列車は遠くに消えていった。レール伝いに響く音もだんだん小さくなり、やがては鳥の鳴き声と、自分の息を吸う音だけが耳に入ってくる。それだけ、静かな駅である。
この駅は無人駅である。「駅」とはいうが、ホーム1本にプレハブの待合室がくっついているような簡単な造りである。「乗降場」とか「停車場」という言葉がふさわしい。それでも、甲府駅とも、東京駅とも同格の、正真正銘の「駅」であることは間違いない。
善光寺駅の表に出て見た。そういえば、富士山やブドウ畑はあったが、肝心の「善光寺」が見当たらない。しかも、案内も何もない。「名所案内」と書かれた看板に、善光寺への距離と方角が書いてあるだけである。方角って、僕は船乗りかいっ!と思わずツッコんでしまったが…。
とりあえず、大きな道に出て見ようと思った。駅前の民家の小さな路地を進んでみた。壁に住居表記が掛けてある。「善光寺町●丁目」とある。なるほど、善光寺町にある駅だから、善光寺駅なんだ。なーるほど、善光寺の前だから善光寺駅じゃないのね。考えてみりゃあ、簡単なことだよなあ、ハハハ…。
しかし、さらに数歩歩いて気が付いた。善光寺があるから善光寺町なんであって、だから善光寺駅があるんだ。ということは、やっぱり、善光寺って善光寺駅の近くにあるんじゃないのか?
そして、さらにさらに数歩歩いて気が付いた。
「きょう、昼飯食ってないじゃん」
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甲斐善光寺=2003年2月、筆者提供 |
甲斐善光寺。これが、この寺の正しい呼び名である。
本堂が建立されたのは1558年(永禄元年)で、450年も昔のことである。もっとも、長野善光寺の創建は約1400年前で、これは仏教伝来に時を同じくする古さである。同じ「善光寺」を名乗っても、さすがにこれにはかなうまい。
でも、実際に本堂の前に立つと、その歴史の重みをずしりと感じさせる。その一方で、朝鮮文化の影響を受けた鮮やかな朱塗りの山門は、心を弾ませる雰囲気を醸し出している。
善光寺駅から寺までの道のりはやや遠く、参詣にあたっては甲府駅からバスなどを利用することをお勧めする。ただ、遠く見える寺の姿だけを頼りに、駅から右往左往、善光寺の門前町を練り歩くのも楽しかった。
その前に、きちんと食事をとってからにしようね。
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