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揖斐駅
揖斐駅の駅舎(2001年8月/ETN)
近畿日本鉄道 養老線
揖   斐 いび

開 駅
OPEN
大正8(1919)年4月27日
所在地
ADDRESS
岐阜県揖斐郡揖斐川町脛永字山王元
接 続
CHANGE
なし
 歩いて渡る (2001年10月 #49)
 地図を見るたびに「あの場所」が気になっていた。
 岐阜県揖斐川町。濃尾平野の最北西端とでもいうべき場所に位置している。

 揖斐川が北西から南東に向かって緩やかに流れる。
 近鉄養老線が川の南側の揖斐駅からさらに南の大垣方向に延び、先日残念ながら廃止された名鉄揖斐線(※注)が川の北側の本揖斐駅から東の岐阜に向かっている。両駅は地図で見るととても近いように思える。
 赤い線で示される何本かの国道が彩りを添える。少し細かい地図なら、バス路線を表わす点線も目に入ってくる。

 子供の頃から地図に親しんできたつもりだけど、これほど「第六感」(?)が働く場所はない。心惹かれる、とでもいうのだろうか、地図上の場所に恋してしまう。ここほど地図で示される図形・シチュエーションが奇麗でおもしろく、そして微妙なバランスの上に立っている場所はないのではないかと僕は勝手に思っている。
 特に、あの2つ駅が印象的だ。川を挟んで2つの終着駅があるなんてとても素敵だと思うのだけど、どうだろう。

 ――京都市内にも似たような条件の場所がある。嵐山だ。阪急駅と京福駅。あの場所はあの場所でまたすばらしいのだけど、しかし、すぐ近くにJR線の駅やトロッコ駅なんかもあるし、なにしろ観光地としてちょっと有名すぎる場所だ。

 2001年8月上旬、近畿・中国地方に旅行に出かけたときに、揖斐川町を歩いてみることを計画に入れてみた。同行者がいたので自分勝手な計画を立てることに少し躊躇したのだけど、彼は快く承知してくれた。
 とはいえ、この「歩き」はこの旅行全体の主な目的ではないので、名鉄本揖斐駅から近鉄揖斐駅の約3キロ程度を歩くことにとどめた。これくらいなら特に問題ないだろう、と。ただ、記録的な猛暑の夏、歩く時間帯が朝の9時前とはいえ、それなり体力を消費することが予想された。

 予想は当たった。本揖斐駅から歩き始めてすぐに、Tシャツ・半ズボンにもかかわらず汗をかきだした。汗はしだいに体全体を覆った。

 気温はどんどん上がっていった。そのうち、僕の体は汗でびしょぬれになる。それと共に当然体力も消耗していく。旅行の初日からこんなことで最後まで体が持つのだろうか?

 水不足で枯れかかっている揖斐川を渡り、コンビニで一休みする頃には、僕の中に「楽しさ」とかなりの「疲れ」が同居していた。おそらくその頃の気温はすでに32度くらいはあっただろう。いくら歩くことが好きだとはいえ、少し油断していた。
 再び歩き始めた。とりあえずのゴールはもうすぐ近くにあるはずの近鉄揖斐駅。

 太陽の光がまぶしい。超暑い。
 結局、近鉄揖斐駅に着いたのは予定より15分ほど遅れの午前8時40分頃。電車を1本乗り遅れたため、大垣から乗るJR線も考え直さなくてはならなかった。

 単純な収支決算ならば、体力的に、時間的に、間違いなく大赤字である。僕も他人がやったならあきれてしまうだろう。バカにしてしまうかもしれない。
 しかし、自分がやったことに後悔があるかと問われれば、答えはノー、だ。むしろ、もう二度とやらないであろうこの経験はいい思い出になると思う。なぜなら、それは僕が僕の流儀を通したから。これも僕の作った作品の1つ。

 断言はできないけれど、地図の形が好きだから歩いて見よう、と考える人は滅多にいない。そして、それを実際に実行する人はもっといない。
 日本でたった1人? 100人くらいはいるかなあ?
 そう思うと、少し嬉しくなる。
 また、やってみたいな。今度は…

(2002年6月追記)

※2001年9月30日で、名鉄揖斐線の黒野〜本揖斐間が廃止されました。(編集部)


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