西鉄高速バス乗っ取り事件

 ゴールデンウィーク真っ最中の2000年5月3日、西日本鉄道(西鉄)の佐賀―福岡天神間の高速バスが、17歳の少年により男に乗っとられた。16時間のろう城ののち、翌4日早朝、警官隊の突入で犯人は逮捕された。少年は警察の調べに対し「目立つことをしたかった」と口にしている。

文中の人物の職業・年齢などは当時のままです。


  • 乗客刺され、1名が亡くなる
  • 17歳の犯人 優等生の凶行
  • 「何か目立つことをしたかった」  *  *
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    乗客刺され、1名が死亡

     事件の経緯は、こうだ。

     3日13時35分ごろ、佐賀発福岡行きの西鉄高速バス「わかくす」号=平野忠運転手、56歳=が九州自動車道を走行中、福岡県太宰府市の太宰府インターチェンジ付近で、平野運転手が乗客として乗り込んだ17歳の少年に刃物を突きつけられ、乗っ取られた。バスはその後、男の指示で山口県の中国自動車道から山陽自動車道を東へ走った。山口県内で走行中に男女2人がバスから飛び降り軽いけがを負い、広島県内で男性4人が解放された。車内に残っている乗客は女性ばかりで運転手を含め10人となった。

     17時50分ごろ、広島県東広島市の奥屋パーキングエリア(PA)で広島県警のパトカーに停車させられた。少年は「短銃とスタンガンを用意しろ」と要求。奥屋PAで女性3人が解放されたが、佐賀市在住の塚本達子さん=68歳=が救急車で病院に搬送中に死亡を確認、2人が重軽傷を負った。捜査員の説得にもかかわらず、バスは午後9時35分ごろ、再び東に向かって走り出し、東広島市の小谷サービスエリアで再度止まった。

     そこでは乗客数人が解放されるが、依然として少年は投降する気配を見せない。捜査員が簡易トイレや食糧を差し入れ、ついに夜を徹した戦いに突入した。 

    15時間にわたった乗っ取り事件の結末は、少年の一瞬のすきを狙った「突入」だった。
     広島県警の「陽動作戦」が始まったのは、空が白み始めた午前5時前。同県東広島市の小谷サービスエリアで、前夜からバスの前に止まったままだった3台の救急車がゆっくりと近くの給油所に移動した。
     つなぎ服の従業員がすぐ駆け寄った。
     「ガソリンを入れるまねをしてくれ」
     給油所のマネジャーは直前、県警からこう頼まれていた。救急車の動きで、少年の気を散らそうとするねらいがあったとみられる。
     「給油」が始まったころ、少年は気を抜いたように、それまで抱えるようにしていた石橋優希ちゃんを運転席の後ろの座席に残し、1つ後ろの座席に腰かけた。
     同3時ごろから突入のタイミングを計ろうと、脚立の上で運転席の窓から説得を続けていた県警捜査幹部は、一瞬のすきを見逃さなかった。すかさず合図を送った。
     バスの後方十数メートルのところには白いワゴン車が横付けされ、その後ろに隊列を組んで捜査員ら2、30人がしゃがんでいた。テロ対策などを専門にする大阪府警と福岡県警の特殊急襲部隊(SAT)も加わり、突入作戦の助言をしていた。SATは、警視庁のほか6道府県に配備され、200人の隊員がいる。1995年の全日空機ハイジャック事件で出動したことが知られている。
     捜査員は合図と同時に二手に分かれ、中腰姿で素早くバスの左右に散った。
     午前5時3分。約30人の捜査員がバスの後方から接近。ハンマーのような工具で左右前部の窓ガラスがたたき割られた。事前に別のバスを使って突入のシミュレーションを繰り返し、フロントガラスが割れにくいことは確認していた。まばゆいオレンジ色の光と白煙、破裂音のする「せん光手投げ弾」が車内に投げ込まれた。捜査員がバスにはしごをかけて、次々と車内になだれ込んだ。
     車内からは悲鳴が上がった。乗客の1人、井手愛弓さん(21)は「ピストルの音と思った」。
     少年が叫んだ。「何をやっているんだ」
     捜査員が優希ちゃんと少年の間に割り込むようにして窓から上半身をねじこみ、優希ちゃんを保護。その直後、別の捜査員が少年から刃物を奪った。残りの乗客は、白煙が充満するなか、後部右側の非常扉を中から開け、集まった捜査員の中に飛び込むように次々と脱出した。
     わずか約2分間の出来事だった。

    17歳の犯人 優等生の凶行


     この少年は家の中で暴れ、両親に暴力を振るうこともあった。今年3月、母親が「息子が通信販売で刃物を買って部屋にこもり心配」と佐賀県警に相談。県警の勧めで医者と話し合い、少年を県内の病院に入院させたという。
     同級生や近所の人たちの話では、少年は志望の高校への夢が絶たれた後、不登校、家庭内暴力、そして事件へと突き進んでいったという。
     「勉強がよくできる優等生」。少年は周囲にこう見られていた。小学生のときは、成績は上位だったが運動は苦手で、4年生ごろから、級友にからかわれたり嫌がらせをされたりするようになった。おとなしい性格だが、半面、プライドも高く、しばしば激高して反撃に出たこともあった。
     少年が変わり始めたのは、中学3年のときだ。県内一の進学高校への入学を希望していたが、校舎内で飛び降り、せき髄を損傷する大けがをした。「同級生から飛び降りろと言われた」「飛び降りる勇気がないんだろうとからかわれた」などがきっかけだったと周囲は言う。
     少年は長期間入院し、高校は志望校ではない佐賀市内の県立高校に入学した。
     中学校の卒業アルバムの集合写真では、少年は男子生徒の固まりから離れ、女子生徒と副担任教諭の間に隠れるようにしゃがみこんでいる。
     高校は10日ほど登校しただけで行かないようになり、1年余りで退学。その後は自室に閉じこもりがちになり、家族との会話もほとんどなくなったという。
     心配した会社員の父親は週末、少年をよくドライブに誘った。少年は、今回の乗っ取り後のコースと同じ岡山や広島へ日帰りで行きたがったという。
     近所の人は、少年の母親が「希望の行き先をかなえないと、怒り始めることもある。私たちを困らせて楽しんでいるようだ」とこぼすのを何度も聞いた、と話す。

    「何か目立つことをしたかった」

     広島県警の調べに対し、少年は時折、意味不明な言葉を繰り返すなどして、調書の作成も難航している。それでも、捜査員との会話の中で「バスジャックをやろうと決めていたわけではなく、何か目立つことをしたかった」との趣旨を断片的に話しているという。
     バス乗っ取り中、捜査員との人質解放交渉では「霞が関に行け」などと繰り返し要求しており、捜査本部は世間の注目を集めるため、「東京行き」に執着したとみて注目している。6日の少年の自宅の捜索で、自室から通信販売で買ったナイフや包丁数点を押収したが、それらを使わずに乗っ取り直前、あらためて牛刀(刃渡り30cm)を1万4000円で購入していたことも、動機を解明する上での重要な行動とみている。
     少年は、愛知県豊川市で2日、高校3年の男子生徒=17歳=が夫婦を殺傷して逮捕された事件についても「知っていた」と話しており、同い年の高校生の犯行が、「目立ちたい」との心理に影響を与えた可能性もある、とみている。
     これまでの調べで、バスジャックを起こした3日は、3月上旬から入院していた佐賀県内の国立療養所の精神科で3回目の外出が許された日だった。これまでの2回は日帰りで、初めての外泊許可。少年は「3日に『何か』をするつもりだった」などとも話している。捜査本部は、犯行の底流には自己主張をしたいという強い欲求があり、入院中にばく然とした「思い」を育てていたのではないか、との見方をしている。


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